Higemushokuカナダ留学日記

Higemushokuカナダ留学日記

1987年生まれ夫婦のカナダ移住計画

世界一周もどきの思い出シリーズ(タイ・首長族の村編)メーホーンソン

おじさん

首長族の村

夕暮れとお別れした僕は、ひとりでバスに乗って首長族の村に向かった。当然、激安のローカルバスで、激暑いがエアコンは無い。ただ、ローカル特有なのか、何かしら民族音楽みたいなのは爆音で流れている。前の席に座った僧侶的なおじさんは、暑さのあまり34番シートと35番シートの間に挟まっていた。そんなこんなでメーホーンソン到着。とりあえず適当に歩いてみて、最初に見つけた宿の受付がバイセクシャルおねぇだったので宿はそこに决定。部屋に荷物を置いて、いざ首長族の村へ行こうとして、受付のおねぇに場所を聞いてみると、村は山奥にあり、ここから歩いて行ける距離ではない、と教えられて愕然とした。加えて、そのおねぇ(きんちゃん)が僕のことを痛く気に入った様子だったことにもついでに愕然とした。ただ、車のツアーがあるよ、と紹介されたので、おとなしくお金で解決することにした。おめおめとツアー会社へ向かおうしていると、きんちゃんが突然「sachio」と声を上げた。振り返ってみると、性別不明、年齢不明、国籍不明の「sachio」がそこにいた。sachioは、「どうしたの?」と日本語を発したので「sachio=サチオ」だと分かり、日本人だということがわかった。僕は、首長族の村へ行きたいということをサチオに伝えると、「ツアーは高いからやめといたほうがいいよ、僕ちょうど明日、バイクを借りて村に行く予定だから一緒に行く?」と誘ってくれた。僕は「誘いは有り難いけど、首長族よりも、サチオの謎の解明のほうが楽しそうだな」と思いつつ、適当に誘いに乗っておいた。サチオの解明のために。

サチオと原付きとスコールと

次の日の朝、僕はうんちを漏らした。そんな23歳の夏、僕はサチオとともにボロい原付きを借りて首長族の村へ向かった。ちなみに、僕はこの約半年後にもボリビアのタクシーの中でもうんちを漏らすことになる。ガッデム。さて、首長族の村へは、、原付きで30分ぐらいだったと思う。信号も何もない道をずーっと突き進むと、途中から舗装が無くなって、泥道が続く。こんな感じで。

泥道

毎日降るスコールのせいで、すこぶるぬかるんでいて危険な道だったが、サチオの先導のおかげで何とか首長族の村に到着。入り口には門番的なオジサンがおり、入場料らしきお金を払ったような記憶がある。。そう、そこはテーマパーク的に作られた、ビジネス首長族の村だった、のだと思う。日本で言うところの太秦映画村みたいなものだろう。ただ、そこには実際の人間の生活があるので、太秦の忍者たちとは全く違う。ビジネス忍者のように、営業中は忍び足&ござる口調、営業後はスマホ片手に原付きで退社、とはならない。彼らはそこで生きてる。色んな意見や説があるので、どれが本当でどれが間違っているのかは分からないが、サチオから聞いた限りでは、彼らはここで首に輪っかを巻いて首を伸ばして生活をすれば、国から生活を保証されているのだとか。だから、サチオはこの村の人たちに自立した生活をしてもらいたくて、彼らが観光客向けのお土産用に作っているアクセサリーや布を輸出して、自分たちで稼いで暮らすことの手伝いをしたいのだと語っていた。ちなみに僕は下の写真の右から二番目のカラフル布を購入した。

おみやげ

豚の撲殺

スケールが大きくてよくわからないが、とにかくサチオは首長族の村に通いつめて、彼らの言葉を学び、彼らのサポートをしようとしていた。気づけば僕はもうサチオに夢中だった。もはや首長族の説明なんて聞いちゃいなかった。けれど、サチオの正体や彼の旅の目的は最後まで一切わからなかった。唯一わかったのは、ビートルズのファンだと言うことだけだ。サチオはイエローサブマリンを好んで口ずさんだ。サチオのことに熱くなりすぎて書き忘れていたが、僕が訪れた首長族の村の人達はキリスト教らしく、村の中に教会(木造、手作り)があった。そういえば学校もあった。教会の写真を載せるのはなぜかちょっと気が引けるので、学校の教室だけ載せておこう。

教室

あと、たまたまその日の夜に祭りのようなものが行われる予定だったらしく、ボコボコに撲殺された豚が、絵に書いたように前足・後ろ足をそれぞれ結ばれ、太い棒に吊るされていた。僕達が帰ったあと、火あぶりの刑に処せられたに違いない。ガッデム。下の写真は村の風景だが、あの煙は豚のやつだろう、たぶん。

村の風景

次回予告、「なんやねんその祭り。え、雨乞いなの?」

今回はここまで。全く関係ないが、母親が早くもDMM英会話を断念した。PCの操作が出来ないという、そもそもの問題が発生したからだ。あと、僕の前々職場の同期の段ボール職人は順調に退職に向かっているようだ。世界一周にいざなわねば。あと、僕より先に妻が日本を離れることが確定した。彼女は4月の中頃にカナダへと発つ。そんな僕は何を血迷ったのか、よさこいのチームに入ることを決意した。

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